報恩感謝 陰徳浄行 徳風会吉相墓

鞄ソ風會・祭祀研究所 代表取締役社長 竹谷泰則

初代竹谷聰進先生 五訓の教え


一、金銭や物品を賭けて勝負事をせぬ事
一、自費でも他費でも毎日三度の食事に美食満腹せぬ事
一、他人の借金の保証引受けと印をせぬ事
一、一日人より十五分多く働く事
一、常に陰徳積みを心掛け、人にも勧めて 自らも之を行う事

初代 竹谷聰進

五訓の解説 竹谷泰則社長

水野南北先生は、十八才より天寿を全うされるまで、米は一粒も口にされた事なく正月のおモチも食べられたことはありません。事業家で麦飯を常食として三十年以上続けている家庭は、事業の事では都合よく暮らしておられます。壮年から老年にかけては一そう食事に注意して食事の徳によって安楽にすごせる様にして下さい。
 また「病は口から入り・禍は口から出る」と言います。
 調子の低い人でいつもニコニコし、人の悪口を言わない人は必ず事業に成功すると昔から言われているのも、方便空文ではありません。
 「慎言語 節飲食」言語を慎み、飲食を節して下さい。
金銭の陰徳で一番注意しなければならないことは、他人の借金保証引き受けの印を、押すことであります。自己が現金でその借金を全部支払いするだけの、貯えがある人は別、貯えのない人が泣きつかれて保 証印を致しますと、一回、二回は都合良く行っても三回目には保証のために自己の今住んでいる家も、売らなければならないことが世間に数多く常に起っております。

 金銭を勝負事に使用することもまた過悪です。吉相墓を建てても一度に財を得ることは考えないで下さい。
 神社や寺の修繕に寄付するのは、陰徳積みの一つの方法ですが、寄付して名前が立て看板に出るのでは、陰徳になず売名となり功徳を減じます。
人より十五分間多く働くという解釈と、十五分(十二分・充分)と言う二つの解釈があります。
 「努力する事が大切である」また、「事業は生きんがためであり、目に見えぬ戦である」とも言われました、人より沢山努力し働くようにして下さい。吉相墓を建てても本人の努力無くしては幸福はありません。
徳を「積む」といいます。功徳・陰徳は回数を重ね、天に貯金を積み上げるものです。
 「情けは人の為ならず、巡りめぐって己が為なり」施しは自分の為にすることです。「自利利他」は他に利益をもたらすことが自の利益になり、二利円満となります。
 「自覚覚他覚行円満」自ら目覚め陰徳積みに励んで、人にも勧めて他を目覚めさせ、陰徳積みの輪を広げて行き、徳風会の浄行にもご参加下さい。

初代竹谷聰進師 略歴
 明治37年春に京都の嵐山の辺りに生れました。幼名は春塋と言い、若い頃から易学に興味を持っていました。
 たまたま墓相学の松崎整道師を知って関心を寄せ、以後松崎師に師事し、恩師亡き後を受け継ぎ、権威者として知られました。
 昭和38年10月30日60才にて死去されました。

初代 竹谷聰進

(株)徳風會・祭祀研究所

報恩感謝 陰徳浄行 徳風会吉相墓

鞄ソ風會・祭祀研究所 代表取締役社長 竹谷泰則

観相家 水野南北


日本相法中祖 江戸時代の観相家

水野南北小伝

 南北先生は大阪(当時浪花と言う)に生まれましたが、幼小の頃は父母と死別して親族で育てられた不幸な人でした。
 幼名は不明です。両親の愛を知らずに育った孤児の成り行きとして、不良化するのは別に珍しい事ではありません。南北先生も十才の頃から酒を覚え、金が手に入ると酒を買っては呑む毎日で。その結果、酒代を得るために悪事に手をそめ投獄されることも度々ありました。
 十八才の頃、酒代のために悪事を働き捕えられて入牢した時、牢内でふと気付いた事がありました。それは入牢してくる罪人たちと、娑婆で働いている人たちとの相貌に著しい相違がある事です。この差を感じた時から相学に興味を持つ様になりました。
 やがて出牢したある日のこと、人相観に己の顔や手の観相を乞うたところ、「貴男は一年ほどの間に剣難で死ぬ相が現れている」と言われました。驚いた南北先生は、その足である禅宗の寺へ行き、坊さんになりたいと願い出ました。しかし、寺の坊さんは「坊さんの修行はなかなか難しく苦しいものである、貴男がこれからの一年間、麦と白豆だけの食事を続けたならば入門を許し弟子にしてやろう」と言われました、それを聞いた南北先生は、好きな酒もぷっつりと絶ち、浜仲仕をしながら麦と白豆だけの食事を続け、一年後には見違えるほどの逞しい体付きになりました。但し荒くれ仕事の中では度々派手な喧嘩もあり、時には身体中傷だらけになる事はあっても命には別状がありませんでした。そんなある日、以前に観相を乞うた人相観を訪ねると「ウンンン」と唸った観相家は「険難の相は不思議になくなっている、お前はその後何か大きな功徳をしたであろう、例えば人の命を助けたとか困っている人を救ったとか、または神社仏閣の修繕の助力などをしなかったか」と尋ねました。南北先生は「別に人の命を救ったことはないが、ある坊さんの教えによって食事を麦と白豆だけにしている」と言うと、観相家は「食事を節する事は大きな陰徳積みである」と教えました。

 以後、南北先生は観相を研究するために名古屋に出て風呂屋の三助となり、湯の中の裸体を見て人相を研究しました。また、ある時は火葬場(昔から真宗は火葬の習慣がある)の隠亡人夫になって相学を研究し、遂に観相の奥義を極めました。先生が観相をする時、相手を裸にするのはこの時の研究の結果です。
 死ぬまで米や餅類を一切口にせず、少年の頃から呑んでいた酒も一日に一合とし、他には麦一合五勺以外は口にしませんでした。当時は京、浪花はもとより江戸からもわざわざ観相を乞う人が名古屋の宅に集まるほどで、八十余才まで長寿を全うされました。
 京都の藤井佐兵衛氏が名古屋での南北先生の葬儀に参列した時、一町四方の広大な屋敷内には蔵が数棟もあったと藤井氏の子孫が伝え聞いています。
 文化九年三月、本屋京都藤井佐兵衛氏署名の出版本の一部に「南北先生は弱年より相法を好み、事実によって人の未だ知らぬ理を極め相法の一流を起こす、相業世に行われると言えども、先生の相法は至って下賎にして野人の如し、この故に衆人名を聞き来って会うといえども先生の下賎なるを見て真の南北と称せず、又田舎へ行くといえどもその名と人物と合わざるを以て衆人大いに疑う。この故に災難を受ける事ままあり、是によって以後の疑い災難等を免れんためにこの像を現す、先生弱年の頃相法修行のため指頭を焼く、今左の小指にその跡あり、又手の両肘に受刄の跡あり、この遺跡と像とを以てこの後先生を疑う人あらず、相比べ疑いなからしめんがために今ここに像を現して以後の便利となす、なお、よく相比べ知るべし」と書いてあります。これにより想像しますと下賎の相があった様に思はれます、この本の中には南北先生の肖像画が掲げられています。
 結論として水野南北先生の教えの要点は、如何なる善相良運健康な人であっても常に美食をし十二分に食事をしたならば悪相となり凶運短命となる。如何なる悪相凶運病弱の人でも、口にする物を節し食事を八分水を二分、合計十分にする人は良運となり健康長命となる、という事です。

水野南北 相法修身緑

相法修身禄より

 人間の生命の根本は食である。たとえどのような良薬をもちいても、食べなければ生命をたもつことはできない。だから人にとって本当の良薬は食である。

食事量の多少によって、人間の貧富や寿命や未来の運命を予知することができる。
 古人の言葉に「天に禄なき人は生じず、地に根なき草は生えず」ということばがあるが、その身ほどによって天より与えられた一定の食事量がある。みだりにむさぼり食う者は、天の戒律を破る者である。生命の存在するところに必ず食べ物があり、逆にいえば食べ物あるところに必ず生命が発生する。食べ物は生命の源であり、生命は食べ物に随うものである。そして人間の生涯の吉凶は、ことごとく食によって決まるといっても過言ではない。
三度の食事が粗食で少量の者は、悪相・貧相であっても金持ちになり、子孫に財産や名誉をのこすであろう。いつもは粗食だが時々大食するものは大凶である。
水野南北 相法修身緑いつも身のほどに不相応の美食をしている者は、たとえ人相は吉であっても運勢は凶である。その美食癖をあらためなければ、家を没落させ、出世も成功もおぼつかない。まして貧乏人の美食家は「働けど働けどわが暮し楽にならず」で、一生苦労する。
大いに成功・発展の相があっても、怠け者でずるく、酒肉をたのしみ、自分の本業に精を出さない者には成功・発展はない。

子供の相が貧相で悪くても、その親が食に慎しみをもつならば、みだりに貧相悪相というべきではない。
 子供は、その親のなすところによって悪相から善相に一変することがある。子に対して親は本であるから、その本が正しければ子もおのずから正しくなる道理である。
 もっとも、過去世の因縁を解いてやるのは親の務めであり、親が解けないほどの因縁の場合は、子が成長して自ら解くほかない。
 悪因を解き善因を積むには、陰徳を積むほかはない。世に慈善事業や放生をして陰徳を積んだつもりになっている者があるが、これらはみな人に知られる行為であり、真の「陰徳」とはいえない。
仏法は精神を治めることを本とするゆえに食を慎むのである。なぜなら万事心が乱れることは、みな飲食を本として起るからである。飲食を慎むときは心静かになり不動心を得る。不動心を得れば、その道(仏道)を得ることはたやすい。
千日千夜祈ってもあなたに実がなければ神明はどこにもおられない。また実を持って祈ろうとのぞむなら自分の命を神に献じ奉ることだ。食は自分の命を養うもとである、これを献じ奉るということはすなわち自分の命を献ずるのと同じである。
万物ことごとく妙法でないものはない、また相でないものもない。また相には有無の二つあって無相はかたがないといってもその全体像ははっきりしている。これを微妙という。すなわち心であって簡単にはいいあらわせない。また有形は形であって、かたちのあるものは法であり、体もそうである。法あるものは滅びて行く。これが法の道であり相法の道である。性ことごとく微妙より来たって、はっきりと法形を生ずる。

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竹谷聰進著

昭和二十四年に初版が発行されたロングセラー。墓相の名著です。
現在は平成二十二年に発行の四十一版です。DTPでの印刷となり、また、文章の一部を改訂し読み易くなっています。
墓相の絵を使って説明し、家庭や家庭での祀り方や、松崎整道師の講和と続き、本題の竹谷式墓相の発表になります。そして、吉相の墓の相に付いての著述があります。「墓相から吉相墓が生まれる。」また、陰徳と墓や徳風会に付いてなど、「墓相から陰徳積の大切さ。」が理解できます。

著者略歴
明治三十七年春に、京都の嵐山の辺りに生まれました。幼名を春栄といい若いころから易学に興味を持っておりました。たまたま墓相学の松崎整道を知って関心をよせ、以後松崎師に師事し、恩師亡き後を受け継ぎ、権威者として知られました。昭和三十八年十月三十日六十才して死去されました。

墓相を絵で説明

pp.27-82は、墓相を画を使って簡単に説明されています。
「東南が欠けた墓所」「山の尾根や頂の墓は」「高い墓地は」「個人の「墓ごとに墓地に塀があるのは」「墓所の周囲に塀や垣があると」「樹木が石塔の上に被ると」「樹木が墓所内に植えてあると」「雑の先が墓所に入るのは」「墓所に周囲の高地から流水が入る場合」「全面を板石またはコンクリート敷にしてあると」「三段の段石で」「台石が」「台石の下に自然石を使うと」「協同で墓を建てますと」「自分の墓を自分が建てると」「台石が延石や境石の上に乗ると」「親族や知人と一緒に墓を建ると」「台石上に竿石が二基以上あると」「猫足、膳足形の台石の場合」「見上げるような石塔は」「細長い竿石は」「竿石に割れ破損や疵があるのは」「水塔婆建て又は差しが竿石の前にあるのは」「一つの竿石に二夫婦以上入ると」「本名の竿石の場合」「両隣が他家の墓で」「竿石の上部中央または角が尖っているのは」「自然石の竿石は」「二面以上に花筒や水入があるは」「広い墓地で正面中央から建立すると」「建立順が逆になると」「コンクリートの円墳」「墓の下にコンクリートなどで納骨の場所を造ると」「供花で法名が半分以上見えないとき」「石塔が傾いているのは」「高圧線の下の墓は」「亭主を中心に左右に先妻と後妻を刻むと」「木標や盛り土の周囲に」「乱雑に墓を建立すると」「石塔に苔が多く生えたり」「石塔が倒れ土に埋もれると」「死体をカメに入れ」「家の中に墓があると」「新しい石と取替えたとき」「屋敷の一部に竿石が使ってあると」「竹谷式水分の見方」「建立順位」などです。

本文の最初

pp.83-102は、墓相に入る前の説明などです。
「家庭の幸福」「墓に関するこれまでの文献」「霊魂を祀る場所」「本家・分家・養子の解釈」「墓の解釈」「家庭内での先祖の祀り方」「家庭内での先祖の祀り方と家庭運」「お墓での先祖の祀り方」

松崎整道先生講和

pp.102-141 は、松崎整道「お墓の話」です。講和を速記された文章です。
松崎整道先生とは、初代竹谷聰進先生の墓相での師であり、徳風会の創設者です。
「家の根」「氏寺」「墓相」「墓石」「悪墓」「吉相」「悪形」「石材」「墓地」「納骨」「奇形」「同居墓」「功徳」「整理」「霊魂」「年忌」

松崎整道略歴
慶応元年旧七月二十八日埼玉県上尾に生れる。本名は金蔵。三男一女の長子。大正七年に中山尊師と出会い、以来墓の研究に没頭するに至った。昭和二十三年一月八日 八十四歳で亡くなられました。

竹谷の墓相発表

墓相研究の細部

p.141 から、墓相研究の細部の発表です。箇条書きになっています。
「墓所の無い家庭運」「墓所の地形と家庭運」「墓地と樹木、草花、建物などと家庭運」「墓所の土と家庭運」「墓石の台石と家庭運」「竿石と家庭運」「竿石の文字と家庭運」「墓石の雑感と家庭運」「墓石建立順と家庭運」「竿石の石質と家庭運」「塋域石と家庭運」「木標と土葬と盛土と家庭運」「本家、分家、親族、知人と墓の関係運」「住宅と墓石」「土葬と火葬」「土葬の吉相」「墓所整理方法」「墓の方位」「霊名、法名」「吉相墓設計上の注意」「家系図」「家系図と墓と男女生誕の関係」

吉相の墓の相
p.207からは、吉相の墓について
「吉相の石塔」「吉相の石質」「吉相の地形土質」「新たに吉相の墓所を造る法」「古い墓所を吉相に再建する法」「分家初代の建墓の方法」「お墓参りの仕方」

陰徳・徳風会
pp.226-247は、陰徳積や徳風会について
「墓地の六体地蔵尊」「慰霊碑塔または無縁供養塔の造り方」「放生会」「地蔵尊影の奉流」「陰徳と墓」「徳風会」「先祖の祀りは主婦の務め」「系図の例」

吉相の墓の例

p.105 「墓相」より。
形のあるものを造るならば悪い相を避け、善い相すなわち吉相とか福相とかの墓を建てるのが当然となって来る。


吉相の墓所の例

p.216「新たに吉相の墓所を造る法」より。
今まで墓所のない方で新しく造られる方は、最も良い機会ですから吉相の墓所を造られる事です。その設計も種々な方法があります。著者は常に各家の家系図・家庭の事情などから、その家庭の不足するものを満たすように設計致します。


徳風会吉相墓

p.244より。
吉相墓には六百種類ほどの設計方法があります。建立希望者は戸籍謄本並びに父母、祖父母の除籍謄本を同封して、この表のような系図と共に水子や流産も記入して会員またはコ風會・祭祀研究所へ尋ねてください。徳積の行ですから無料で図面を作成進呈します。

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発行所・販売元

株式会社徳風會・祭祀研究所
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京都市伏見区桃山長岡越中南町117
TEL075-623-5599 FAX075-603-0999  

徳風会竹谷式吉相墓

墓相を理解し「吉相墓」を建立  

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